「精神のデフレからの脱却」


デフレと日本経済

「日本経済に元気が無いのはデフレが原因だ」といった内容の話をよく耳にします。デフレ(deflationの略語)とは供給が需要を上回り、物価が下落し、生産調整や失業者の拡大により、通貨の流通量が減少することを意味します。デフレがさらに大きなデフレを誘引し、経済活動の収縮が加速度的に進む状態を「デフレスパイラル(らせん状)」と呼んでいます。

バブルと言われた好況期には、資金の過剰流動性が生じ、企業や個人が、過大な投資や消費に沸き返り、株式や土地の価格が高騰しました。これが1989年以降の金融引締策を引き金として一気に下降に転じたのが「バブル崩壊」です。株価や地価が急落し、個人消費も低迷、供給過剰による物価の下落がおこり、現在のデフレ状態に至るのです。不良債権処理に疲弊する金融機関、資産デフレと過剰債務に苦しみながら設備投資抑制やリストラに向かう企業、貯蓄をもちながらも消費を手控える国民…。経済活動全体が収縮方向へと突入した現在、日本はデフレスパイラルの入り口に立っているといえるでしょう。



「精神のデフレ」と「合成の誤謬」

バブル期と不況の現在とで、経済構造や金融システム、労働者や技術者の質などが大きく変わったわけではありません。また、政治、官僚機構、政策決定プロセスがドラスティックに変貌を遂げたとも考えられません。つまり、社会の構造そのものには目立った変化はないのです。

では、何が原因となってここまで不景気が続いているのか。それは、人々の意識の膠着が大きな要因を成していると考えられます。現実に、いまバブル期と同じような生産・消費活動ができるかといえば、物理的には不可能ではありません。しかし、実際それがなされないのは、人々がその気にならないから、という理由が大きいのではないでしょうか。いわば「精神のデフレ」というべき心理状態に全国民が陥っているということが、今の日本を覆う閉塞感の実状なのです。

「合成の誤謬(ごびゅう)」という言葉があります。エコノミストがよく引用する言葉ですが、「個々人としては、合理的で正しい行動であっても、多くの人がその行動をとると全体としては不都合が生じる」という意味の経済用語です。殊に、日本の場合は「他人と同じ事をすれば安心である」という同質化傾向が強いため、社会全体が合成の誤謬に陥りやすい体質があります。まさに今の日本の景気低迷は、「合成の誤謬」と「精神のデフレ」の発現であると考えます。



継続的な総合デフレ対策

政府は3月の月例経済報告で「景気は、依然厳しい状況にあるが、一部に下げ止まりの兆しがみられる」とやや楽観的とも取れる発表をしました。3月中旬現在、4月のペイオフを控えて株価は一時的に上昇しましたが、私はまだまだ日本経済は危険水域にあると考えています。今のデフレは、あらゆる社会の構成要因にまで影響を及ぼし、一般に言われる金融政策や財政出動といった対応策だけでは、もはや解決し切れない段階に転移しているのです。日本経済が確かな足取りを取り戻すためには、一時的な株価の上下に一喜一憂し、弥縫(びほう)策を弄しても効果は薄く、継続した総合的なデフレ対策が必要であると考えます。

なぜなら、現在の日本のように、バブル崩壊により1000兆円規模で資産が失われた状態では、政府が数十億円単位で株式を購入しようが、数兆円規模で財政出動を行おうが、そう簡単に国民の信用へとは繋がらないからです。つまりは、逆回転を始めた収縮経済の歯車を止め、正常で理想的な回転(高成長でもなく、ゼロ成長でもない道、実質3%前後の「中成長」)に戻す方法は、総需要を喚起する政策をおいて他にないのです。



構造改革後の日本の姿

ふり返ってみれば、戦後日本の近代化は欧米へのキャッチアップを目標に、物財の豊かさといった価値観を全国民が享受するような政策が講じられてきました。その目標をある程度達成したにもかかわらず、政治家や官僚は昔ながらの発想で政策を進めようとしていることに無理があるのです。時代の変容を認識し、政官業の関係を根本から見直すことが喫緊の課題なのです。構造改革後の日本が、人口減少局面に入って成長し続けることは簡単ではないし、高度成長期のように日本全国が均一に発展するかのごとき発想は通用しない時代なのです。

私が目指す構造改革後の日本は、国民や地域が、それぞれ得意分野や役割を認識し、地方や国家における機能を能動的に分担してゆこうという考え方です。国土の狭い日本でも、都市と地方が同じように繁栄することなどあり得ないし、繁栄の意味するところも異なってくるはずです。世の中に存在する不均衡を、健全なる個性と捉えて社会に取り組み、あらゆる産業に自己実現や個性尊重の方途を拡げ、頑張った人が報われる世の中を目指すためには、例えば、大幅な規制改革や税制改革などが必要となってくるでしょう。

幸せの尺度は千差万別です。それを、物財といった画一的な価値観で固定する政策はもはや通用しません。21世紀の日本社会は、世界での役割も含め、国民がいかに精神的な達成感を得られるかという段階にシフトしなければならないのです。たとえ時間がかかる道程であってもそれが唯一の解決策であり、「精神のデフレ」を脱して日本人としての自信と誇りを取り戻すための王道であると確信しています。