『地上波デジタルを再考せよ』

私は、テレビ放送の「地上波デジタル化」政策の見直しを提言する。

現行のテレビ電波を従来のアナログ方式から、デジタル方式に変更することを定めたこの国策によって、いま家庭や会社にあるテレビ受像機がわずか8年後には使えなくなる。テレビ放送の送受信システムの根幹が変わるからだ。国内で1億台を越すといわれる国民的資産がすべて無益の箱に帰すという"大政策"が地上波デジタル化なのだ。「消費税率倍増」を上回るインパクトをもつにも拘わらず、その計画は杜撰を極めている。

まず、「なぜデジタル化が必要か」という大前提が曖昧に過ぎる。国民の8割以上が「今で十分」と感じているテレビを別規格に移行するには、相応の強固な目的が必要なはず。その根本要因がアバウトに移ろっている。計画当初は「世界の趨勢」が理由だった。さらに「逼迫する電波帯域の整理」という目的も付加された。地上波テレビが占有するVHF帯等を携帯電話用に振り替えるプランだ。ところが、先行する欧米各国でデジタル化は低迷したまま。デジタルテレビ需要は一向に伸びず、破綻する局まで現れた。頼みの携帯事業者はVHF不要を唱える始末。今では「IT戦略上の意義」というぼやけたテーマまで持ち出す有様だ。メリットも顕在化しないまま、国民にテレビの買い換えを強要するような政策が、目的も不明確に進んでいい道理がない。

根拠希薄な移行リミットに縛られ、拙速に走るあまり、過失や不測の事態が頻出している点も看過できない。計画では、2011年7月をデジタル完全移行(アナログ停波)と定め、その時限に向けて「アナアナ変換」という混信対策やデジタル波発放の時期を設定しているが、すでに随所で狂いが生じている。電波混雑地域の世帯数掌握ミスにはじまり、都市部で過半を占めるマンションなど共聴受信世帯への無策、新設高層ビルの林立に伴う難試聴実態の過少評価など、問題は枚挙にいとまがない。当然、移行費用も膨らみ続けている。無意味なスケジュールに束縛され、机上のプランに依拠して実情の把握を怠ったツケが露呈したのだ。2003年中の実施が規定されていた東・阪・名広域圏でのデジタル本放送が、アナアナ作業の停滞により限定出力での段階的な放送開始にレベルダウンしたことなど顕著な例だろう。なのにデジタル放送の予備免許は予定通り交付されている。締切りや体裁には拘りながら、その実半端な暫定措置が横行するようでは、国民はいつテレビを買い換えてよいかわからないし、メーカーも量産体制を確立できない。目標値の設定は大事だが、画餅では誰も喰わない。

地上波デジタルに絡んで、所轄官庁である総務省の右顧左眄ぶりが目につくのも、計画自体が不鮮明だからだ。アナアナ変換対策費の大幅増が露顕した際、「アナアナのために電波利用料の値上げはしない」旨を言明したにも関わらず、結局「電波の有効利用のため」という苦しい換言で増額したように、その場凌ぎの政策執行に終始するようでは、国策としての信頼性など得られるわけがない。地上波テレビというユニバーサルサービスを覆し、国民にリスクを強いる以上、それに相応しい確固たる理念や計画性を、政策もその主導者も持たねばならない。 私は、現在の地上波デジタル計画の"勇気ある"一旦停止を訴える。このまま進行すれば、間違いなく計画は破綻する。暫時立ち止まり、国民への事態の速やかな周知と、デジタル化を取り巻く環境の再点検を優先実施すべきだ。「ステータス・クオ(現状維持政策)」という概念があるが、現状のアナログテレビ放送のままでも当座の不足はないのだから、あえて移行実施を焦らず、入念に計画を再構築すればよい。期限の制約を一旦外し、アナアナ変換や難試聴対策の目途が立ってからデジタル放送を開始しても遅くない筈である。一篇の法律に固執し、一億の民に損失を与えるのではまさしく本末転倒だ。むしろ国策を謳うからには、国民や民間事業者のコスト負担を明らかにし、的確な措置を講じるとともに、放送という公益を損なうことなく、さらなる利便性の向上に繋がる周辺法規の整備・改正といった大所的な配慮こそ重要である。

従来、放送と通信は別箇の存在としてその役割を担ってきたが、デジタルによる技術革新が両者の性質を近づけ、連携・協力を可能なものとした。例えば、急速に普及しているブロードバンド通信は、放送手段としての能力を充分に備えている。地上波アナログでは、こまめに中継局を設置して国内全域に電波を届けることに成功したが、デジタルでの100%カバーは、地勢的、財政的に無理だろう。地上波でのリーチが困難な地域では、伝送路の一部を光ファイバで補完するなど、通信インフラの効率的な活用が求められる。そのためには、関連法の整備や統廃合も不可欠な要素となる。国民の視点に立てば、重要なのは電波の伝送経路ではなく、番組コンテンツの十全な到達である。それを一義に、放送と通信の連携を促進しなければ、それこそ「デジタル」の本質を忘れた愚策となろう。国民の豊かさに供すべく、現行制度の大綱的な改革まで視野に入れてこそ、大計ある国策と呼べるのではないか。

(終)