デフレと闘い、新時代をひらく [Page1]
〜 日本経済を甦らせるために 〜
一.わが国経済が直面している困難
日本経済を循環的側面からみれば、ここにきて一部の指標に底入れをうかがわせる動きが出ている。資本市場にも一定の安定が戻り、懸念された危機的状況が遠退いたかの感がある。とはいえ、構造的諸問題の処理は、必ずしもはかばかしい進展を見せているわけではなく、日本経済は引き続き厳しい状況下にあると考えねばならない。
■ 構造的・複合的不況下の日本経済
日本経済は、今、三つの根元的な困難を抱えて呻吟している。
第一は、なにもかもが縮み≠フ渦にまき込まれるデフレーションである。
第二は、経済のグローバル化を背景として急激に進む産業の空洞化である。
第三は、まもなく始まる総人口減少時代に経済を適合させるための大胆な改革である。
これら三つの問題に起因する経済の停滞化ベクトルが互いに共振し、増幅しあって、わが国経済は今、第二次大戦後では例を見ない長期かつ深刻な不況に見舞われている。経済のマイナス成長が続き、企業の倒産が相次ぎ、リストラによる人員削減も止まるところを知らず、完全失業者は三五〇万人にも達しようとしている。これは、まさしく構造的・複合的&s況と考えねばならない。
■ 将来ビジョンの共有化

前記の第二、第三の要因は構造的で、かつ中・長期的な問題である。これに対して、第一の要因は、短期的に克服しなければならない焦眉の急を要する問題である。これら三種の問題に同時に対処できる即効薬は無く、それぞれに対して適切に、しかも手順良く対処していくことが重要である。

とはいえ、短期的問題を解決するために、中・長期の問題をないがしろにするわけにはいかない。一方、中・長期の問題に目を奪われて当面の問題を無視することもできない。結局、当面の問題に対処するにしても、同時に中・長期的効果を念頭に置かなければならず、このことが問題の解決をいっそう困難にしているのである。

この困難を乗り越えるためには、将来のわが国経済社会に対する明確なビジョンを国民が共有しながら、当面の事態に対処することが必要である。これを欠けば痛みに耐えることができず、結局は問題先送りとなってしまいかねない。現状においては、残念ながら、将来ビジョンの共有という点において必ずしも十分な状態にあるとは言えない。しかしいったん国民が将来ビジョンを共有すれば、資源配分のウエイト付けが明白となり、財政出動を含む思い切った政策の実行も可能となるのである。

■ 豊かな成熟社会の追究

産業空洞化の背景となっている経済のグローバル化は時代の大きな流れであり、二十一世紀のメガトレンドである。したがって、この流れに敢えて抗すれば国益を損じることにもなりかねない。国際間における産業の転移は、人類社会の合理的な選択として受け止めねばならないことである。そのうえで、わが国経済がなお活力を維持し続けるためには、より先端的な分野へ産業の重心をシフトさせねばならず、このことが喫緊の課題となっている。

他方、わが国はまもなく総人口が減少するという、未知の時代を迎える。そうした時代においても活力ある経済を維持しなければならないが、そのためにも、生産性向上の余地がより大きい分野に、経済資源、すなわち資本と労働を、集中的に投入するほかはない。各種の構造改革は、まさにそのためにこそ遂行されるべきことである。既存の枠組みを大胆に改めなければ、経済資源を新分野へ効率的に投入することができないからである。

また同時に、グローバル時代においては、リージョナルな特性がいっそう重要性を増すことに留意すべきである。わが国の長い伝統によってつちかわれた豊穣の文化。それを育んできた国民のしなやかな価値観。これらは、グローバル時代においてわが国がいっそう輝きを増すための、かけがえのない資源≠ナある。

こうした無形の資源を社会の活力源にするうえで、教育・文化政策が重要な役割を果たすことはいうまでもないが、これまでの産業化時代に毀損したコミュニティ≠再生することが重要な意義を持っている。コミュニティとは、自立した個人が互いに価値観を共有し、共通の目的のために協働する社会である。

国の内外においてNGO、NPOの活動が重要性を増してきているが、同様に、国民の身近なところからコミュニティを再生することは、豊かな成熟社会を実現するうえできわめて重要と思われる。

■ いま、何をなすべきか

いま国内には、「ほんとうに何とかして欲しい」という国民の悲痛な声が充満している。政治はこうした声に応え、国民各層からの強い信頼を築かねばならない。それにはまず、一刻も早くこのデフレから抜け出すべく敢然と取り組むことが重要である。

日本の名目経済成長率は、平成一〇年にマイナス一・三%と、戦後初めてマイナス成長となった後、同一一年度には〇・二%とわずかながらプラス成長となったが、一二年度はマイナス〇・三%、一三年度はマイナス二%台後半と縮み続けている。このままでは一四年度も二%前後のマイナス成長が懸念される状態である。一九三〇年代初頭、大恐慌といわれた時代の米国経済に匹敵するほどの執拗なデフレの渦中にある。何はともあれ、ここから脱出することが喫緊の課題であることについては、異論のあろうはずがない。

金融システムを安定させるための不良債権処理は断行しなくてはいけないし、財政の構造改革も重要である。しかし、最も急を要するのはデフレから脱却することである。これなしには、日本経済の活力が再生することはありえないばかりか、時を置くにつれてデフレはますます深刻の度を増し、やがて破滅的な事態に陥るのが必至だからである。

■ デフレ経済の本性とそれへの処方

デフレーションというのは、本来、「膨らんでいたものが縮む」という意味である。日本経済をこの縮み≠ノ追い込んだ根因はどこにあるかといえば、銀行信用の縮み、すなわち信用デフレである。銀行信用が収縮すれば、実物経済もおのずから縮小するというのは、経済の動かし難い原理原則である。

それでは銀行信用を収縮させている元凶は何かといえば、それはまぎれもなく不良債権≠フ存在である。したがって、現下のデフレから脱出するためには不良債権の最終処理をなによりも急がなければならない。大手銀行の不良債権額が過去一年間で四割増加したと報じられていることからも明らかなように、これを放置すれば雪だるま式に増殖し、とりかえしのつかない事態となってしまう。不良債権処理の断行は避けられないプロセスであり、現在、政府がこれを促進しようとしているのは当然のことである。

しかし、不良債権の最終処理というのは、同時に、過剰債務企業を整理・淘汰することを意味しており、激痛をともなう大手術である。これを敢行すればそれ自体がまたデフレを誘発するという、まことに厄介な作業でもある。そのために、問題処理がとかく先送りされ、それによって銀行の信用創造機能がますます萎縮するという悪循環に陥りがちである。 したがって、ここは断固たる決意をもって敢行するしか道はない。だが同時に、そのことによって生じるデフレのベクトルをうち消す方策を講じねばならない。

経済がいったんデフレ病に罹患すると、需要が縮小し、生産が減少し、雇用と所得が縮小して、その結果さらにまた需要が萎縮するという悪循環に陥る。いわゆるデフレスパイラル≠ナある。

デフレから脱出するためには、根因を除去するための外科手術をほどこすと同時に、需要のスパイラル的減少をうち消すための施策が不可欠なのである。

■ 総需要政策を欠いてはならない

つまり、構造対策と同時に総需要政策が不可欠だということであり、そのいずれが欠けても、デフレ対策としては欠陥対策というほかはない。本年二月末に決定された「総合デフレ対策」は、デフレの根因除去を促進するとしている点においては正鵠を射たものである。しかし、総需要政策については全く言及していない。総合と言うに値するよう、早急に追加策を打ち出すべきである。

デフレに対しては、財政と金融が歩調を合わせて共にあたることが重要であるが、現状では財源の制約が大きいことを理由に、ややもすれば金融に偏しがちとなる。改めて総需要政策の重要性を再確認すべきであろう。

国民は経済的合理性にしたがって行動する。そのため、物価が持続的に下落するデフレ経済のもとでは、購買行動が必ず先送りされる。いま買うより、少しでも先になって買う方が有利だからである。このことは、家計においても企業においても変わりはない。その結果、民間需要は自ずから先細りとなり、放置すればスパイラル化が避けられないことになる。

そこで、ここから抜け出すためには次の二つの方策を実施して、総需要を支える必要がある。

第一は、物価が下落していても購買行動を先送りしないで、いま買う方が有利だと国民が判断するような条件を創出することである。

第二は、経済的合理性に縛られることなく行動できる経済主体、それはすなわち中央及び地方の政府が、大胆に需要を増やすことである。

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