オピニオン

子どもを生活習慣病にしない食卓


香川短大学名誉学長の北川博敏先生から著書「子どもを生活習慣病にしない食卓」をいただいた。ご存知の方も多いと思うが、北川先生は、レタスを包むラップの開発者としても知られる「食育」の権威である。

 


我が国の食生活は、伝統的に主食である米を中心に、魚や野菜、大豆から作る豆腐や納豆などの副食を中心とするものであった。そして第二次大戦後、社会情勢の変化を背景に畜産物や脂肪分などの摂取が増加し、昭和50年ごろには、たんぱく質、脂肪、炭水化物のバランスがとれた日本型の理想的な食生活を達成している。しかし、その後も脂質の消費は増加の一途を辿り、反対に米の消費は減少、さらに不規則な食事の形態などによって食生活の乱れが生じ、若い世代にも生活習慣病が及ぶようになったのだ。野菜を嫌い脂肪分の多い食事を好む現代の子どもたちにも、生活習慣病が発生しているという現実には驚いた。

 


そもそも生活習慣病は成人の病気であり、子どもたちには関係のない病気であると認識されている方が多いだろうが、実に小・中学生の5人に1人が脂質異常症という調査結果があるという。近年の偏った栄養摂取、朝食欠食など食生活の乱れや肥満・痩身傾向など、子どもたちの健康を取り巻く問題が深刻化しているのだ。こうした現状を踏まえ、平成17年に食育基本法が、平成18年に食育推進基本計画が制定され、子どもたちが食に関する正しい知識と食習慣を身に付けられるよう、学校でも積極的に食育に取り組むことが重要とされた。

 


「食」の問題はあらゆる生活基盤に関わっている。一見無関係に思えるが、物流や農業問題、また今後ますます増大すると見込まれる医療費を抑制するためにも、子どもたちの食生活の改善は避けては通れない課題だ。食育は、豊かな日本を取り戻し、安全・安心な地域社会を構築していく重要な「国育」なのである。「食」を通じて地域を理解し食文化の継承を図ることや、自然の恵みや勤労の大切さなどを理解することもできる。日ごろ外食の多い私自身への戒めと反省の意も込めて、是非ご一読いただきたいお勧めの一冊である。



消費税について


まず、はっきりさせておかなければならないことは、消費税は政策としての手段の一つであって目的ではないということ。現政権は、財務省の強い主導によって消費増税が自己目的化しているところが第一の問題である。重要なのは増税そのものではなく、なんのために増税するかということ。自民党と民主党の違いは、まさにその目的の部分にある。そもそも民主党は、衆院選マニフェストで「無駄を省けば増税の必要なし」と明言し、任期中には議論の必要もないと言っていたはずではないか。

 


民主党政権は、消費増税に総理が「政治生命を賭ける」と決意を表すものの、党内の合意は曖昧で、大混乱の中、今もって執行部の預かり承認という形のままである。その結果、反対派の副大臣や政務官、党幹部が集団辞任するという混乱が起きた。更に、小沢元代表の党員資格停止は、「判決確定まで」と自らが決めたルールを簡単に反故にしてしまういい加減さは今に始まったことではないが、民主党内の混乱はさらに泥沼化すること必至である。

 


一方、自民党は財政難に対して、「税収の総額」をあげて諸課題に取り組もうという方針であり、消費増税はそのための手段の一つだと考えているので、成長戦略やデフレ脱却に重きを置いている。言い換えれば、自民党は「税収」のアップを目指し、民主党は「税金」のアップを目指しているということになる。従って、自民党はその導入時期には極めて慎重であり、だからこそ麻生内閣の時、「政権交代!」の声にかき消されながらも「まずは景気だ!」と訴えた。そして、自民党の消費税は税収総額のアップのためなので、財政健全化法に「不況時には上げない」と附則を付けたのだ。

 


マスコミは「両党ともに消費税アップに同意しているのだから協力せよ」と報じるが、自民党の消費税は「国民のための消費税」であるのに対し、民主党の消費税は「財務省のための消費税」なので、そう簡単に手を握るわけにはいかないのだ。税と社会保障の一体改革ではなく、少なくとも税と社会保障と経済対策を同時に議論すべきで、デフレ脱却と景気拡大が消費増税の必要条件であることは言うまでもない。

問責決議と審議拒否


自民、みんな、新党改革は、防衛、国交2大臣の問責決議案を昨夕、参議院に共同提出した。明日の参院本会議で可決される見込みだ。田中防衛大臣の資質のなさは、今さら言及するまでもない。これ以上職に留まれば、日本の安全保障が危機に陥るのは明らか。野田首相が詭弁を弄してまで庇う理由が理解できない。一方、前田国交大臣については、政権交代の時の「コンクリートから人へ」といった誤ったポピュリズム政策を転換した実績がある。八ッ場ダムを始め、私が国交副大臣時に主導して予算手当てをした高松自動車道の4車線化の凍結等の迷走に終止符を打ったことには一定の評価はできる。しかし、結果としてコストは増大し完成年度は大幅に遅れた。一歩前進したことにはなるが、当初のプランより10年以上遅れることは、それだけ地域経済を低迷させるだけでなく、国民の命が危険に晒されることを考えると民主党の罪は重い。政権奪還したときには、スキームを見直してプロジェクトの加速化に全力を挙げるつもりだ。

 


何れにせよ、前田国交大臣の元官僚としての実務の手堅さは認めるが、ご自身がサインした選挙の依頼文章は、明らかに事前運動を禁じた公選法違反であり、ましてや大臣名(しかも自筆)で関係団体への支援依頼をしたとなれば、知らなかったでは済まされない。本来なら自ら辞任すべきだが、さらに責任を秘書官に負わせようとする姿はなんとも見苦しい。

 


幾ら問責決議に法的拘束力がないとはいえ、結局は2大臣を代えなければ国会は正常化しない。一方、野党、特に自民党の審議拒否戦術は、国民の理解を得られるとは思えない。長引けば民主党内の倒閣勢力を勢いづかせるだけだ。しかし、今の野田首相に内閣改造を断行する力はなさそうだし、消費税増税法案に反対を明言している小沢グループの分裂を回避するためには、審議をできるだけ遅らせたいという輿石幹事長の思惑も見え隠れして事情は複雑だ。

 


連休中は野田首相の訪米で審議不能となり、連休明けから会期末までは僅か45日しかない。これでは消費税増税に関する十分な議論は不可能だ。輿石幹事長に気を使うがあまり、閣僚の首すら切れない野田首相がいくら「不退転」「政治生命」を唱えても法案成立への道筋は見えない。一国の総理が消費税の税率に政治生命を賭けるのも異常だが、今国会の混迷度は経験したことのないレベルに達している。


NHK予算とインターネット全盛時代の公共放送の在り方


NHKはデジタル時代の情報受配信の在り方に関して日本で最もチャレンジングな放送局であり、基盤技術の面でもNHK放送技術研究所の力は群を抜いて強い。ただし、そのチャレンジ性や質の高さは、独りNHK自身の資金調達力や研究開発力によって担保されてきたわけではない。例えば、放送と通信の融合は、放送と通信個別の制度によって囲われている民間事業者にとっては安易に手を出しにくい分野であり、NHKという特異な立場であるからこそラディカルに挑めると言える。コンテンツの質の高さについても、利益に縛られる民間事業者ではなしえないような取材時間や取材体制によって実現できている。基盤技術の面でも、業界内の利害を超えて民間事業者の協力を集約しやすい有利な立場を生かしており、これらの活動は、税に準ずるとも言える受信料収入によって支えられている。

 


このようなNHKの在り方を考えたとき、その予算は国民(個人から法人に至るまで全体)の共有資金を消費するものであると捉えるのは至極当然であろう。そうである以上、少なくとも他の政府支出と同等のチェックが行われるのも当然だ。まして現状のような政府財政および国内経済状況を鑑みたとき、NHKのみが例外扱いされることは許されまい。国家公務員は震災復興の予算確保という観点から、人事院勧告を含む7.8%の給与引き下げを実施した。当然ながら、これは独立行政法人にも波及する。税金に近い性格を持つ受信料で賄われているNHKの職員や役員の給与も、それに歩調を合わせるべきではないか。

 


一方、現在、NHK地上波契約は月額1345円だが、これは総括原価方式によって算出されている。総括原価方式とは、公共料金が決められる際に用いられる考え方の一つであり、料金を商品やサービスを提供するのに必要な原価をちょうど賄うだけの収入を得る水準に設定することをいう。電力会社の電気料金なども同様の決まり方だ。しかし、電気料金については原価のあり方が見直されようとしている。それは、電気事業に関係ないコストを電気料金に織り込んでいたことが次々と判明したからだ。公共料金の原価管理は、やはり国がしっかりと見ていく必要がある。今後は管理会計の適切な運用と、原価の第三者査定、その公表等が欠かせないのではないか。

 


また、インターネット動画全盛時代の公共放送の未来をどのように描いているのかというのも重要な論点だ。震災後午後6時過ぎ、広島県の中学生が「NHK放送をネットに流したら、助かる人が いるんじゃないか」と考えユーストリームで無断配信を行った。これは、NHKの著作権を侵害した「違法配信」であるが、その後NHKはその継続を正式に許諾した。そして、午後9時ごろからはユーストリームで公式に番組の同時配信を開始。前後して民放12局も続々と同時配信を始めた。 震災直後の混乱の中、1人の中学生の「暴挙?英断?」が引き起こしたネットと放送の融合である。また、ツイッターやフェースブックといったSNSが被災地支援の強力なツールとして大いに役立ったのは周知のとおり。NHKのテレビ放送をインターネットという伝送路を通じて、電波による放送と同時配信することは、NHKが負っている「あまねく普及させる義務」を遂行する上でも不可欠になってきている。世界を見渡すと、有力な公共放送は全て、ネットに対応した法制度に移行し、放送のストリーミング等を実施している。日本の優れたコンテンツを世界に広げていくという観点からも、インターネット全盛時代の公共放送の在り方を再考すべき時に来ている。


東日本大震災から1年を迎えて


東日本大震災から丁度1年が経つ。1年前の3月11日、大きな揺れから暫くたって、テレビに次々と映し出される信じられない映像を議員会館の自室で呆然と見ながら無力感に襲われたことを思い出す。先ずは震災によって尊い命を失われた方々に対して心から哀悼の意を表したい。そして、今なお被災地でご苦労をされている方々に対してお見舞いを申し上げると同時に、国政を預かる一人の政治家として重い責任を感じざるを得ない。

 


観測史上最大級の大地震に続いて、見たこともないような大津波、更には大量の放射性物質をまき散らす結果となった福島第一原発の事故。震災から11か月もかかってやっと復興庁が立ち上がったが、被災地からは、さまざまな形で復興の遅れや原発事故対応の不備に対する苛立ちや失望が絶えない。震災復興の遅れを政権与党だけの責任にするつもりはないが、民主党政権の誤った「政治主導」と「脱官僚」が結果的に復興を遅らせたあったことは紛れもない事実だ。

 


震災後、自民党は政府に対して577項目の提言を行い、復興基本法、がれき処理特措法など議員立法で復旧・復興をリードしてきた。そして今月3日に、復興事業費の総額確保、人的支援の強化、復興庁の本格的稼働、復興交付金の充実、がれき処理の早期完了、事業再建への徹底支援、除染の加速化、健康被害への万全な支援、風評被害などに対する万全な対応、国家プロジェクトの推進からなる「復興加速への10の方策」を申し入れた。例えば、最終処理済みのがれき処理が僅か5%程度に留まっている現状は明らかに政治の責任である。谷垣総裁が党首討論で野田総理に求めたように、「国が一歩前に出て、責任を取る必要がある」ことは当然であり、政府が実効ある調整力を発揮して、がれき処理方策を根本的に強化しなければならない。

 


言うまでもないことだが、震災復興に与党も野党もない。しかし、本格的な復興は本格的な政権でなければ担えないのもまた事実ではないか。「コンクリートから人へ」といった薄っぺらなキャッチフレーズでは、国民の安心と安全を確保できないことがはっきりした以上、解散総選挙を経た本格的な政権がしっかりとした復興とこれからの日本の舵取りを担うべきだ。自民党は国土の強靭化に集中的に取り組み、見通しの甘さが明らかな政府の復興計画と全国防災施策を全面的に見直すことに加えて、「自民党ならこうする!」という具体的な政権公約を3月末を目途に示していきたい。


情報セキュリティに関する提言を発表!


24日、自民党「情報セキュリティに関する提言」を発表させていただいた。昨年は、国会、行政機関、国家の重要な情報を扱う企業などがサイバー攻撃を受け、重要な情報が窃取されるという事態が発生した。また、米国がサイバー空間を陸、海、空、宇宙に次ぐ第5の戦場と位置付けたように、今やサイバー攻撃は、国家安全保障上の重要問題であり、このまま放置すれば国家機関や国の重要インフラにも深刻な打撃を受けかねない。

 


野田政権は昨年、「国民を守る情報セキュリティ戦略」を策定した。しかし、足下の状況を考えると、より国家安全保障上の位置づけを高め、情報セキュリティ確保のための体制を緊急に拡充整備するとともに、研究開発、人材育成、関連産業の活性化等の対策を速やかに実施すべきだ。2020年に世界最先端の「情報セキュリティ先進国」実現を目指すという政府の目標を前倒し、今後5年以内にこれを達成するべきだと考える。

 


言うまでもなく、国家のICT戦略は与野党が対立すべき分野ではない。今回の提言は、昨年12月から私が委員長を務めるIT戦略特別委員会でICT大手各社からヒアリングや文書の形で提言を受けたものを参考にしてとりまとめたものだ。今回の提言の意味合いは、まさにサイバー攻撃を安全保障の重要問題と位置付け、さらにそれを逆手にとって経済成長に結び付けようということ。野田政権がこの提言を積極的に取り入れ、日本の経済成長を実現することこそが私の真意である。

 


提言の詳細はこちらから → http://www.jimin.jp/activity/colum/115852.html



論より決断!


民主党政権は「マニフェスト」という政治用語の意味を変容させてしまった。無定見なポピュリズムの選挙用語であったことが露呈した以上、次回以降の選挙では使われないだろう。しかし、その残滓である子供手当や農家への個別所得補償や高校無償化は依然として財源なきバラマキ政策であり、高速道路無料化や八ツ場ダムの凍結と解除等による迷走は、国民にとって災難としか言いようがない結果となった。それなのに、野田首相は昨日の党大会で、マニフェストに関する反省や見直しについて触れていない。マニフェストという言葉とともにその欺瞞も葬り去ろうとしているのだろうが、ちょっと調子がよすぎはしないか。いきなり消費増税に「不退転の決意」「政治生命をかける」などの大げさな表現をされても、冷静には受け止められない。大げさな言葉も行動がともなわなければ、自己陶酔の空砲になるだけだ。

 


消費税はあくまでも目的である財政再建の手段の一つであり、手段が目的を追い越したような議論は本質を見えなくするだけだ。財政再建のためには、経済対策やデフレ対策はもちろん大前提だが、先ずは歳出削減に取り組むのが常道だ。与野党が協力して取り組むべきは、事業仕分けのようなパフォーマンスではなく、我々国会議員を含む公務員人件費の削減だ。民主党はマニフェストで国家公務員の人件費2割削減を言明し、その方法は業務の地方移管、手当・退職金水準・定員の見直し、だとしている。一方、自民党の公約でも、中小企業の実情を踏まえた公務員給与の引き下げ、自治体との重複排除による出先機関の廃止、間接業務の一括外部化、業務の無駄撲滅により、総人件費を2割削減するとしている。また、公明党の公約では、給与・諸手当・退職金・年金及び定員に関する一体的な法制見直しによる総人件費の抑制、非常勤職員を含む国家公務員の人件費全面公表と法定外福利厚生費の廃止を主張しているし、みんなの党のアジェンダは、国家公務員の10万人削減、公務員給与を2割カット、ボーナスを3割カット、退職金・年金の二重払いの差し止め等の対策により国と地方の公務員の総人件費を2割以上カットするとしている。従って、公約通りに実行すれば、公務員人件費削減へ向けての方向性に大きな違いはなく、与野党による話し合いは十分可能なのだ。

 


その試金石となるのが前国会に提出された公務員給与削減特例法案だ。私は自民・公明が共同で提出している法案の責任者として政府提出法案との修正協議に臨んだが、一方的に協議を打ち切ったのは民主党だ。政調会長会談で前原政調会長は柔軟な対応を約束したにもかかわらず、現場の責任者からは法案を成立させようとする意欲は全く感じられなかった。その結果、0.23%引き下げるとした人事院勧告さえも実施できず公務員給与は高どまりしたままだ。民主党は公務員組合と、給与引き下げとの引き換えに、別途提出されている公務員制度改革法案によると協約締結権付与と人事院廃止等を密約しているとはいえ、震災復興財源確保のための7.8%引き下げ法案に別の条件を加えるべきではない。従って、民主党が組合との密約を切り離して修正協議に臨めば、与野党合意は決して難しくないはずだ。野田首相には、国会議員の歳費や定数の削減を宣言する前に、昨年から積み残しているこの法案成立へ向けてリーダーシップを発揮してもらいたいものだ。消費税に政治生命をかけ、マニフェストを覆す勇気があるのなら、先ずは組合との密約はご破算にすべきだ。そうすれば、与野党協議への視界は一気に開ける。解散総選挙も恐れない野田首相にとって難しい決断ではないはずだ。また、本当の決断と実行に必要なのは、勇壮な言葉ではなく、粘り強い交渉を厭わない気力だ。開き直ったような発言を続けていれば早晩行き詰まることになる。その挙句の総辞職や解散では、結局何もできなかったことになるのではないか。


大都市問題に関する検討PT中間報告を発表!


自民党はかねてから道州制に向けて地方自治の抜本改革を進めてきた。来年は政令指定都市が20市になる状況を踏まえ、大都市においては、府県との二重行政の弊害や住民意識の希薄化が指摘されている。そこで、住民が自らの発意により特別区の設置を決めるときには、国の法制上支障なく実施することができるよう、その受け皿を設けることが必要であると判断。元総務大臣の菅義偉議員が座長、党総務部会長(SC総務大臣)の私が幹事長となり、「大都市問題に関する検討PT」を立ち上げ5回にわたりヒアリングや議論を行い、昨日、中間報告を取りまとめるに至った。

現在、東京都にのみ認められている地方自治法第3編2章に規定する「特別区」の制度を一般化し、東京都以外の同府県においても、一定の手続きの下で特別区を設置できるようにし、所要の法制上の手続きが必要であることから、以下の5点を地方自治法改正の骨子とすることとした。


1、都道府県は、指定都市を含む一定の要件を満たす市町村(以下、「関係市町村」という。)と共同で、以下の2から4までの手続きを経て、総務大臣に対し、関係市町村の廃止及びその区域における特別区の設置を申請することができること。

2、都道府県及び関係市町村は、特別区への移行に関する協定書の作成等のため、協議会を設けるものとすること。

3、都道府県及び関係市町村は、協議会が協定書を作成したときは、それぞれの議会に付議し、同意をえなければならないこと。

4、関係市町村は、議会の同意を得たときは、協定書をそれぞれ住民の投票にふさなければならないこと。

5、総務大臣は、1の申請に基づいて関係市町村の廃止及び特別区の設置を定めたときは、国の関係行政機関の長と共に、適切かつ迅速に所要の法制上の措置を講ずるものとすること。


以上のことを実施するために、時期通常国会において、関係政党とも協力して地方自治法一部改正法案を提出することが決まった。尚、昨日の記者会見の模様はこちらから → http://bit.ly/v3IAJR


 


「情報セキュリティ対策に関する提言」を発表しました!


衆議院の情報システムにおけるID・パスワードの漏えいなど公的機関への一連のサイバー攻撃の発覚を受け、私が委員長を務めるIT戦略特別委員会は本日、「情報セキュリティ対策に関する提言」を発表しました。提言では、国会及び政府に対し、情報セキュリティを高めるため緊急に行うべき取組みを示すとともに、高度情報通信ネットワーク社会の実現を目標とするIT政策の必要性など中長期の課題を指摘しています。我が国は、もう一度、強いIT政策を実行することが肝要であり、今後、衆議院や政府に対して提言を申し入れる予定です。提言はこちら(PDF)。


「官僚の官僚による官僚ための番号制度」その4


私は自民党の政策会議・「国民共通番号」関係部会等合同会議の座長に就任して、もう一度「国民共通番号」について問題点を確認する責任を負うことになった。自民党議員の関心もやっと高まってきたので、これからも色々な角度から番号について意見を述べたい。そもそも本人確認は、システム的には2つの要素で完結する。1つはシステム側が個人を特定するID(アイデンティフケーション)という要素。もう1つは本人側が本人であることを証明する本人証明(オーセンティフィケーション)という要素だ。簡単に言えば、IDとパスワード、クレジットカード番号とサインという関係である。日本で国民番号というと、ネガティブなイメージが先行するが、好むと好まないに拘わらず、既に我々は数多くの番号に囲まれた生活をしている。例えば、運転免許証、パスポート、基礎年金番号、健康保険証、住民票、銀行カード、クレジットカード、楽天やヤフー、アマゾン、Tポイントカードなどの会員番号、会社の社員番号など、いずれも固有の番号が振られている。つまり、我々には既に数多くの「背番号」が付けられているのが実態で、もはや番号なしの暮らしは成り立たない時代なのだ。


しかし、時代が変わっても「国民総背番号」という言葉のマイナスのイメージは、払拭されていない。それは、1972年に結成された「国民層背番号制に反対し、プライバシーを守る中央会議」の主張である国家管理の統制強化、地方自治の破壊、軍国主義化、非人間化という反対理由が時代を超えて、何度も喧伝されたことに起因している。番号制度の歴史に関しては別の機会に詳しく触れるが、番号制度にとって最も重要なことは、実は本人であることを証明する手段(オーセンティフィケーション)であることを忘れてはならない。番号管理のセキュリティをいくら高めても、こちらを強化しない限り、絶対的に頼りになる本人証明、本人確認の手段にはなり得ないということだ。


今回の社会保障・税番号大綱では、本人確認については、ネット上の公的認証の仕組みが謳われているのみで、なりすましや偽造カードの問題が起こりうることに対する対策が強化されていない。政府は、共通番号による個人の情報の一元化について、「番号を用いない情報連携」によりシステム上の安全措置を図るとしているが、玄関口の本人確認(セキュリティー)が不十分なため、いったん共通番号が他人に不正利用されれば個人のプライバシーは丸裸になるという、国民にとっては、まったくもって安心できない制度設計となっているのだ。


ではどうすべきか。私が主導した自民党新ICT戦略「デジタル・ニッポン2011絆バージョン」の(要約版8P、詳細版25P)にも明記したように、国民共通番号に、指紋、虹彩、顔写真、静脈などのデジタル本人情報(バイオメトリクス)を付加し、絶対的に頼りになる本人証明、本人確認の基盤を提供することで、いつ、いかなる事態が起きても日本国民の生命、財産、尊厳を守ることができるようにすべきだと考える。このような基盤を導入できれば、自分自身が証明書となり、災害時に着の身着のままで避難したとしても、後からいくらでも必要な情報を回復することが可能となるのだ。ちょっと前までは議論さえできないような話だが、震災後にままならない本人確認の現状を見れば、十分に検討に値するテーマだ。


海外では、インドが12億人の国民に対して、バイオメトリクス付きの国民IDを発行するという壮大なプログラムを開始している。インドでは頼りになる戸籍システムが存在しないため、銀行口座や携帯電話がもてない、社会保障が受けられないという問題が生じていた。もし、頼りになる国民ID基盤を構築できれば、これまでインド経済に現れなかった大量の人々が市場に現れ、同国の経済発展に資することが期待されている。また、日本でも民間では同様のサービスがスタートしており、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)では、年間パスポートを対象に、テーマパークでは初めて顔認証システムを導入(2007年11月)し、年間パスを持つゲストは文字通り「顔パス」で入場するシステムになっているのだ。


それに比べて、議員会館へ議員が入館すると時の本人確認は、衛視さんが国会便覧の写真を見て議員の顔を確認するというもの。議員会館は建て替えられて新しくなったが、あまりにも原始的な本人確認システムではないか。何れにせよ、日本の番号制度に関する考え方や本人確認のシステムは時代遅れだ。日本では過去30年間、共通番号の導入が議論されては頓挫するという歴史を繰り返しているが、お隣の韓国では 1968年に番号制度が導入された。そして、徹底した民間利用の促進によって経済発展を成し遂げた。日本も内向きの議論に終始することなく、閉塞感を打ち破るための突破口として番号制度を議論する必要があるのではないか。