オピニオン

論より決断!


民主党政権は「マニフェスト」という政治用語の意味を変容させてしまった。無定見なポピュリズムの選挙用語であったことが露呈した以上、次回以降の選挙では使われないだろう。しかし、その残滓である子供手当や農家への個別所得補償や高校無償化は依然として財源なきバラマキ政策であり、高速道路無料化や八ツ場ダムの凍結と解除等による迷走は、国民にとって災難としか言いようがない結果となった。それなのに、野田首相は昨日の党大会で、マニフェストに関する反省や見直しについて触れていない。マニフェストという言葉とともにその欺瞞も葬り去ろうとしているのだろうが、ちょっと調子がよすぎはしないか。いきなり消費増税に「不退転の決意」「政治生命をかける」などの大げさな表現をされても、冷静には受け止められない。大げさな言葉も行動がともなわなければ、自己陶酔の空砲になるだけだ。

 


消費税はあくまでも目的である財政再建の手段の一つであり、手段が目的を追い越したような議論は本質を見えなくするだけだ。財政再建のためには、経済対策やデフレ対策はもちろん大前提だが、先ずは歳出削減に取り組むのが常道だ。与野党が協力して取り組むべきは、事業仕分けのようなパフォーマンスではなく、我々国会議員を含む公務員人件費の削減だ。民主党はマニフェストで国家公務員の人件費2割削減を言明し、その方法は業務の地方移管、手当・退職金水準・定員の見直し、だとしている。一方、自民党の公約でも、中小企業の実情を踏まえた公務員給与の引き下げ、自治体との重複排除による出先機関の廃止、間接業務の一括外部化、業務の無駄撲滅により、総人件費を2割削減するとしている。また、公明党の公約では、給与・諸手当・退職金・年金及び定員に関する一体的な法制見直しによる総人件費の抑制、非常勤職員を含む国家公務員の人件費全面公表と法定外福利厚生費の廃止を主張しているし、みんなの党のアジェンダは、国家公務員の10万人削減、公務員給与を2割カット、ボーナスを3割カット、退職金・年金の二重払いの差し止め等の対策により国と地方の公務員の総人件費を2割以上カットするとしている。従って、公約通りに実行すれば、公務員人件費削減へ向けての方向性に大きな違いはなく、与野党による話し合いは十分可能なのだ。

 


その試金石となるのが前国会に提出された公務員給与削減特例法案だ。私は自民・公明が共同で提出している法案の責任者として政府提出法案との修正協議に臨んだが、一方的に協議を打ち切ったのは民主党だ。政調会長会談で前原政調会長は柔軟な対応を約束したにもかかわらず、現場の責任者からは法案を成立させようとする意欲は全く感じられなかった。その結果、0.23%引き下げるとした人事院勧告さえも実施できず公務員給与は高どまりしたままだ。民主党は公務員組合と、給与引き下げとの引き換えに、別途提出されている公務員制度改革法案によると協約締結権付与と人事院廃止等を密約しているとはいえ、震災復興財源確保のための7.8%引き下げ法案に別の条件を加えるべきではない。従って、民主党が組合との密約を切り離して修正協議に臨めば、与野党合意は決して難しくないはずだ。野田首相には、国会議員の歳費や定数の削減を宣言する前に、昨年から積み残しているこの法案成立へ向けてリーダーシップを発揮してもらいたいものだ。消費税に政治生命をかけ、マニフェストを覆す勇気があるのなら、先ずは組合との密約はご破算にすべきだ。そうすれば、与野党協議への視界は一気に開ける。解散総選挙も恐れない野田首相にとって難しい決断ではないはずだ。また、本当の決断と実行に必要なのは、勇壮な言葉ではなく、粘り強い交渉を厭わない気力だ。開き直ったような発言を続けていれば早晩行き詰まることになる。その挙句の総辞職や解散では、結局何もできなかったことになるのではないか。


大都市問題に関する検討PT中間報告を発表!


自民党はかねてから道州制に向けて地方自治の抜本改革を進めてきた。来年は政令指定都市が20市になる状況を踏まえ、大都市においては、府県との二重行政の弊害や住民意識の希薄化が指摘されている。そこで、住民が自らの発意により特別区の設置を決めるときには、国の法制上支障なく実施することができるよう、その受け皿を設けることが必要であると判断。元総務大臣の菅義偉議員が座長、党総務部会長(SC総務大臣)の私が幹事長となり、「大都市問題に関する検討PT」を立ち上げ5回にわたりヒアリングや議論を行い、昨日、中間報告を取りまとめるに至った。

現在、東京都にのみ認められている地方自治法第3編2章に規定する「特別区」の制度を一般化し、東京都以外の同府県においても、一定の手続きの下で特別区を設置できるようにし、所要の法制上の手続きが必要であることから、以下の5点を地方自治法改正の骨子とすることとした。


1、都道府県は、指定都市を含む一定の要件を満たす市町村(以下、「関係市町村」という。)と共同で、以下の2から4までの手続きを経て、総務大臣に対し、関係市町村の廃止及びその区域における特別区の設置を申請することができること。

2、都道府県及び関係市町村は、特別区への移行に関する協定書の作成等のため、協議会を設けるものとすること。

3、都道府県及び関係市町村は、協議会が協定書を作成したときは、それぞれの議会に付議し、同意をえなければならないこと。

4、関係市町村は、議会の同意を得たときは、協定書をそれぞれ住民の投票にふさなければならないこと。

5、総務大臣は、1の申請に基づいて関係市町村の廃止及び特別区の設置を定めたときは、国の関係行政機関の長と共に、適切かつ迅速に所要の法制上の措置を講ずるものとすること。


以上のことを実施するために、時期通常国会において、関係政党とも協力して地方自治法一部改正法案を提出することが決まった。尚、昨日の記者会見の模様はこちらから → http://bit.ly/v3IAJR


 


「情報セキュリティ対策に関する提言」を発表しました!


衆議院の情報システムにおけるID・パスワードの漏えいなど公的機関への一連のサイバー攻撃の発覚を受け、私が委員長を務めるIT戦略特別委員会は本日、「情報セキュリティ対策に関する提言」を発表しました。提言では、国会及び政府に対し、情報セキュリティを高めるため緊急に行うべき取組みを示すとともに、高度情報通信ネットワーク社会の実現を目標とするIT政策の必要性など中長期の課題を指摘しています。我が国は、もう一度、強いIT政策を実行することが肝要であり、今後、衆議院や政府に対して提言を申し入れる予定です。提言はこちら(PDF)。


「官僚の官僚による官僚ための番号制度」その4


私は自民党の政策会議・「国民共通番号」関係部会等合同会議の座長に就任して、もう一度「国民共通番号」について問題点を確認する責任を負うことになった。自民党議員の関心もやっと高まってきたので、これからも色々な角度から番号について意見を述べたい。そもそも本人確認は、システム的には2つの要素で完結する。1つはシステム側が個人を特定するID(アイデンティフケーション)という要素。もう1つは本人側が本人であることを証明する本人証明(オーセンティフィケーション)という要素だ。簡単に言えば、IDとパスワード、クレジットカード番号とサインという関係である。日本で国民番号というと、ネガティブなイメージが先行するが、好むと好まないに拘わらず、既に我々は数多くの番号に囲まれた生活をしている。例えば、運転免許証、パスポート、基礎年金番号、健康保険証、住民票、銀行カード、クレジットカード、楽天やヤフー、アマゾン、Tポイントカードなどの会員番号、会社の社員番号など、いずれも固有の番号が振られている。つまり、我々には既に数多くの「背番号」が付けられているのが実態で、もはや番号なしの暮らしは成り立たない時代なのだ。


しかし、時代が変わっても「国民総背番号」という言葉のマイナスのイメージは、払拭されていない。それは、1972年に結成された「国民層背番号制に反対し、プライバシーを守る中央会議」の主張である国家管理の統制強化、地方自治の破壊、軍国主義化、非人間化という反対理由が時代を超えて、何度も喧伝されたことに起因している。番号制度の歴史に関しては別の機会に詳しく触れるが、番号制度にとって最も重要なことは、実は本人であることを証明する手段(オーセンティフィケーション)であることを忘れてはならない。番号管理のセキュリティをいくら高めても、こちらを強化しない限り、絶対的に頼りになる本人証明、本人確認の手段にはなり得ないということだ。


今回の社会保障・税番号大綱では、本人確認については、ネット上の公的認証の仕組みが謳われているのみで、なりすましや偽造カードの問題が起こりうることに対する対策が強化されていない。政府は、共通番号による個人の情報の一元化について、「番号を用いない情報連携」によりシステム上の安全措置を図るとしているが、玄関口の本人確認(セキュリティー)が不十分なため、いったん共通番号が他人に不正利用されれば個人のプライバシーは丸裸になるという、国民にとっては、まったくもって安心できない制度設計となっているのだ。


ではどうすべきか。私が主導した自民党新ICT戦略「デジタル・ニッポン2011絆バージョン」の(要約版8P、詳細版25P)にも明記したように、国民共通番号に、指紋、虹彩、顔写真、静脈などのデジタル本人情報(バイオメトリクス)を付加し、絶対的に頼りになる本人証明、本人確認の基盤を提供することで、いつ、いかなる事態が起きても日本国民の生命、財産、尊厳を守ることができるようにすべきだと考える。このような基盤を導入できれば、自分自身が証明書となり、災害時に着の身着のままで避難したとしても、後からいくらでも必要な情報を回復することが可能となるのだ。ちょっと前までは議論さえできないような話だが、震災後にままならない本人確認の現状を見れば、十分に検討に値するテーマだ。


海外では、インドが12億人の国民に対して、バイオメトリクス付きの国民IDを発行するという壮大なプログラムを開始している。インドでは頼りになる戸籍システムが存在しないため、銀行口座や携帯電話がもてない、社会保障が受けられないという問題が生じていた。もし、頼りになる国民ID基盤を構築できれば、これまでインド経済に現れなかった大量の人々が市場に現れ、同国の経済発展に資することが期待されている。また、日本でも民間では同様のサービスがスタートしており、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)では、年間パスポートを対象に、テーマパークでは初めて顔認証システムを導入(2007年11月)し、年間パスを持つゲストは文字通り「顔パス」で入場するシステムになっているのだ。


それに比べて、議員会館へ議員が入館すると時の本人確認は、衛視さんが国会便覧の写真を見て議員の顔を確認するというもの。議員会館は建て替えられて新しくなったが、あまりにも原始的な本人確認システムではないか。何れにせよ、日本の番号制度に関する考え方や本人確認のシステムは時代遅れだ。日本では過去30年間、共通番号の導入が議論されては頓挫するという歴史を繰り返しているが、お隣の韓国では 1968年に番号制度が導入された。そして、徹底した民間利用の促進によって経済発展を成し遂げた。日本も内向きの議論に終始することなく、閉塞感を打ち破るための突破口として番号制度を議論する必要があるのではないか。






「官僚の官僚による官僚ための番号制度」その3


番号制度に関するコラムは、これで3稿目になるが、ここで改めて民主党マニフェストと共通番号の関係を振り返りたい。2009年の鳩山マニュフェスト(政権交代となった衆院選時)には、年金保険料の未納を減らすのを目的に歳入庁を創設する、とある。社会保険庁と国税庁を統合して「歳入庁」とし、税と社会保険料を一体的に徴収する。そのために、税と社会保障制度の共通の番号制度を導入すると高らかに謳っていた。鳩山マニフェストの実現可能性を今更論じるのも虚しいが、現在、歳入庁ができる気配はない。そして、2010年の菅マニフェスト(参院選時)になると「共通番号」に関する記述は見事に消えている。つまりここでも、菅政権が場当たり的な対応をしているのだが、鳩山政権時に比べ共通番号に関する政策としてのプライオリティーが格段に低下していたことだけは明白だ。

 


その後、社会保障・税一体改革をやるということで、突然、与謝野大臣が一本釣りされ、番号制度が再び注目されることになった。そして、今年の6月30日に政府・与党社会保障改革検討本部名で「社会保障・税番号大綱」(以下「大綱」という)という大方針が発表された。大綱のサブタイトルでは、「主権者たる国民の視点に立った番号制度の構築」と高らかに謳われているが、政権としての本気度は定かではない。総務省主導でまとめられた大綱は、政治家の関与がなかったせいか、役所側の思惑ばかりが透けて見えて、国民や自治体、企業が享受するメリットは一向に見えない。文章を熟読すればするほど、役人の発想とごまかしが明らかで、どこが実施するのかといった「主語」の部分が抜けているのは、役所間の調整がついていないだけのことだろう。

 


また、利用する公的機関や民間事業者を監視・監督する第三者機関についても、公正取引委員会のように国家行政組織法3条に基づく3条委員会であるという表記が盛り込まれていない。「大綱」の前に出された「要綱」と比べても明らかに後退した内容になっている。これでは、省庁の意見を追認するだけの諮問機関的な委員会になる懸念が払拭されない。同じような体制が問題になっているのが、経済産業省と原子力保安院の関係だ。このような大事なポイントは政治家が決断すべきで、役人に任せていると、「見えない番号」を「見えない責任者」が監視・監督するという極めて無責任な体制ができあがってしまう。番号制度に関しては、迅速な行政への指導・勧告や苦情処理ができる独立性の高い第三者機関の存在が不可欠で、間違っても天下り法人の利権を拡大するようなことをしてはならない。

 


更に心配なのが、社会保障・税一体改革に関する法案より先に、共通番号に関する法案が国会に提出される予定になっていることだ。住民基本台帳法の改正を急いでいるのは、一部の総務官僚が財団法人地方自治情報センター(LASDEC)の権限と予算を拡大しようとしているから。まさに、省益優先、国民の利便性向上などは二の次三の次ではないか。民主党の政治主導は口先ばっかりで、肝心なところで官僚に完全に舐めれている。また、現在の大綱では、法案にするにも色々な問題があるが、業務用件もあやふやで、このままシステム開発を行おうとするのは無謀としか言いようがない。しかし、役人は発注に関しては妙に大胆なところがあり、いい加減な要件定義による発注によるシステム開発の失敗例は枚挙に暇がないにもかかわらず、懲りた様子がない。それは、今回、最終的に5,000億円以上を投入しようとする番号制度の問題が顕在化するのはずっと先のことなので、現時点の推進者の責任が問われないとたかをくくっているからだろう。何れにせよ、番号という「手段」が、社会保障・税一体改革という「目的」を追い越した格好で突き進もうとしている現状は、何とも拙速であり不自然ではないか。

「官僚の官僚による官僚ための番号制度」その2


現在、日本の本人認証、本人確認で一番頼りになるが運転免許証、パスポートといった写真付きの身分証明証。これを持っていれば、一応、自分の身分を証明することができる。しかし、運転免許証やパスポートは国民全てが持っているというわけではなく、子供やお年寄りなどの不所持者は、普段から自分が何者であるのかを証明するという、あまりにも根源的な部分で問題を抱えながら暮らしているのだ。因みに、運転免許証の保有率は63%(73歳以上は34%)、パスポートにいたっては僅か23%の保有率でしかない。また、住民票などは顔写真がないので、たとえ持っていたとしても、あなたは本当に本人ですか、という問いに対して答えることができない。つまり、現在の日本で自分自身を証明するのが想像以上に難しいという現実があり、今回の被災地における罹災証明書の発行に関して、本人確認の問題が改めて顕在化することになった。

 


一方で、住民票コードという番号が既に国民全員に付番され、住民票コードを管理する住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)というシステムがあることをご存知だろうか。所管する総務省のHPでは、「全国的な本人確認システム」と謳われているが、住基カードの普及率が僅か4%であることを考えれば、大半の国民が知らないのも当然だ。住基コードは、名前、住所、性別、生年月日の4情報が1億2千万人分管理されているだけのものだが、このシステム構築に400億円、年間運用経費を130億円もかけているというから驚く。トータルで約10ギガバイトレベルの情報量は、3000円位で市販されているDVD1枚に収まる程度で、国民にとっては、転入届と転出届が一挙に出せる、というような価値しか提供できないお粗末な代物なのだ。

 


また、今回進められている番号制度は、住基ネットをそのまま使わずに、わざわざ住民票コードから新たな番号を生成して、更にはそれを符号化し、番号を用いない情報連携という複雑怪奇なシステムを構築しようとしている。それらしい説明を聞けば、チャレンジングなプロジェクトのように誤解されそうだが、費用対効果、国民の利便性、システム開発のリスク等を冷静に分析すれば、正気の沙汰ではない。そもそも、住基コード、住基ネットがあるのに、なぜそこから新たな番号を生成する複雑怪奇なシステムを構築する必要があるのか。約5000億円を超えるであろうコストをかけてまで推進したいのなら、国民に対して丁寧に説明して理解を求めるのが先ではないか。それができない背景には、隠したい所管官庁の思惑や過去の経緯やトラウマもあるのだろうが、全てを明らかにしてこそ、国民の理解が得られると考える。複雑なシステム開発で国民を煙に巻こうとせず、住民基本台帳法に正面から向き合い、正攻法で説明責任を果たすべきだ。住基ネットに関しては、セキュリティーやプライバシー、個人情報保護の不安が取りざたされ、各地で憲法訴訟が提起された。また、民主党には野党時代に「住基ネット廃止法案」を4回も提出したという過去の経緯があるが、共通番号に前向きに転じたのであれば、もっと未来志向で国民のための番号制度を構築しようではないか。

 


何れにせよ、社会保障と税の情報を「一体管理」すると言っているのもかかわらず、「住基ネット」の呪縛から逃れるために、「番号」を用いない情報連携で実現するから一元管理するわけではない、などという詭弁で政治的な決断を避け、官僚のいいなりになっているようでは、「国民の国民による国民のための番号制度」の実現は不可能だ。民主党政権が「政治主導」を標榜するのなら、困難から逃げるべきではなく、政治家の言葉で国民にメリットやリスクを説明すべきだ。このままでは、大綱に謳っている「安心できる番号制度」とは、国民にとって安心できる番号制度という意味ではなく、官僚にとって(面倒な住民基本台帳法の改正や何らかの問題が起きた場合の責任回避に関する措置がとられているという意味で)安心できる番号制度に他ならない。


「官僚の官僚による官僚ための番号制度」その1


今日の内閣委員会で番号制度に関して質問に立った。最初に誤解なきように言っておくが、いつでもどこでも確実に本人確認ができる国民ID基盤を確立することについては異論はなく、与党も野党も、自民党も民主党もなく、早急に整備しなければならないという認識は同じだ。しかし、現在進行中の番号制度では、国民にとって、メリットのない「官僚の官僚による官僚のための番号制度」なってしまう。政府のグリップが甘いのか、民主党の問題意識が希薄なのか、一部官僚の暴走によって、国民不在のシステムに多額の血税が投じられようとしている。マスコミではとりあげられないテーマなので、現時点での国民の関心は低いが、これからの委員会質疑やあらゆる情報発信手段を用いて、国民に知ってもらわなければならない。これから、番号制度の内容や背景、問題点に関して順次説明して行きたい。

 


与謝野大臣就任後、税と社会保障の一体管理ということで共通番号が具体策とし検討されているが、歴史を遡ると、今から40年以上も前の自民党政権(佐藤内閣)の時にその議論は開始されている。しかし、国民総背番号だ、政府による国民監視社会につながる、という当時の野党(今の民主党や社民党など)からの猛烈な反対で頓挫したため、政府のシステムは国民IDなきまま、バラバラに開発が進む事になった。特に、社会保険庁のシステムは手帳単位に管理するという、最初から問題が起きることが分かりきった仕組みで開発が進むことになる。手帳単位だと、職も変わる、住所も変わる、名前も変わるというような中で、年金情報を一元管理することができないということは、最初から目に見えていた。

 


その後、97年にようやく基礎年金番号が導入され、この番号に国民年金や厚生年金の手帳情報を名寄せしようと試みるが、この時点で3億件の年金記録が宙に浮いていた。この後、10年かけて名寄せ作業が進められるが、残り5千万件まで進んだ段階で、長妻議員に消えた年金とぶち上げられ、これが政権交代の引き金になったのは、記憶に新しいところだ。つまり、年金をオンライン化する時に、個人番号をベースに年金情報を一元管理するシステムを構築することができていたら、年金が消えることはなかったということになる。

 


また、いわゆる国民IDについては、住民基本台帳をベースにしたものが、90年ごろから議論されはじめ、国民一人ひとりにIDをつける、官だけでなく民でも使える基盤にする、住基カードの所有を義務付ける、という方針で議論していたのだが、これまた当時の野党が個人情報保護やら、プライバシー侵害やらと騒ぎ立てた結果、議論が大きく後退。都道府県・市町村のシステム連携にのみ使用可能で、民間利用は禁止、住基カードの保有は任意という大きな制約が入った。そして、住基ネット、住基カードは鳴物入りで2003年に導入されるが、同じ年に導入されたツタヤのTポイントカードが今や国民の3人に1人がもつお化けカードに成長しているにもかかわらず、国家が威信をかけて導入した住基カードはわずか4%しか使われていないという惨憺たる状況だ。

 


また、今回の震災ではっきりしたことの一つは、いかなる事態がおきても本人証明、本人確認ができる基盤を日本国民に提供しておかなければ、いざというときに国民を守ることはできないということ。 罹災証明を発行する際に身分証がなく混乱したケースや、両親とはぐれた幼い男の子がつたない文字で両親の名前を書いた紙をぶらさげて避難所を巡っているニュースを見るたび、胸が締め付けられた。つまり、着のみ着のままで逃げ、自分が何者なのか、ということを証明する手だてを失ってしまった人は悲惨な状況に陥ったように、我が国の本人証明、本人確認は実に頼りない仕組みで運営さている。これでは先進国とは言えないのではないか。

 


では、今進められようとしている番号制度はどのようなものなのか、また、どのような番号をつくるべきか、順次連載で説明したい。

アナログテレビ放送終了まで、あと2日!


2011年7月24日(日曜日)まであと2日。いよいよアナログテレビ放送が終了する。

 


・1998年10月        政府が地上放送のデジタル化計画を発表

・2001年7月         電波法改正(10年後にアナログ停波が決定)

・2003年12月       三大都市圏で地上デジタル放送開始

・2006年4月         ワンセグ放送サービス開始

・2006年12月         全都道府県で地上デジタル放送開始

・2011年7月24日      アナログ放送の終了

 


上記が地上テレビ放送の完全デジタル化に至までのスケジュールだ。私は大学を卒業後、広告代理店で地上波テレビ関連の業務を長く担当した。その後、郷里の高松に戻り、地元民放局の経営に約10年間携わり、退職してから2000年の総選挙で初当選した。いわば、議員になるまでの社会人経験は、地上波テレビと共に過ごしてきたといっても過言ではない。

 


そして、国会議員になった9年前、半ば強引に国策に格上げされた地上波テレビのデジタル化に対して警鐘を鳴らす意味も含め「アナログテレビはなくならない」という論文を書いた。地デジ化を知りつつも買い替えがままならないお年寄りや、ビル影難視聴地域やマンション共聴で未対策の箇所が現在も残っているのは、9年前から指摘してきたことだが、私の9年前の予想を遥かに上回るスピードで地デジ化が進展してきたことは嬉しい誤算だ。そして残された日数はあと2日(岩手、宮城、福島の被災3県は除く)。混乱が最小限にとどまる事を祈らずにはいられない。

 


もちろん、地デジ化を完了させることは重要だ。しかし、本来はその後の電波の有効利用をどう描くかの方がもっと重要な政策課題だ。完全デジタル化が完了すれば、700メガヘルツや900メガヘルツのプラチナバンドといわれる貴重な周波数帯域が空く。テレビとネットは既に融合しており、生放送を見ながらツイッターで盛り上がるといったかつては想像できなかったバーチャルなお茶の間も大きな広がりを見せている。こうした新たな視聴習慣や国民の生活スタイルに放送行政と通信行政がどう応えて行くのか。また、東日本大震災という未曾有の災害によって、インフラ整備のあり方や緊急時の電波利用の方法も新たな政策課題となった。何れにせよ、国民の巨大な努力と痛みを伴って進めてきたデジタル化の本当の成果は、これからの周波数配分とその利活用にあるといっても過言ではない。この分野に長年関わってきた私としては、国民がデジタル化の恩恵を享受できるように全力を尽くすのみだ。

 


余談になるが、我が家ではデジタルテレビはなくなっていない。実は、大量にある私のビデオテープのストックを再生するためには、アナログのビデオデッキとテレビが必要だからだ。家内には廃棄するようにいわれているが、どうしても捨てきれない。負け惜しみではないが、「アナログテレビはなくならない」(笑)。

菅首相に退陣を求める理由と自民党の覚悟


今回の菅首相辞任騒動は、我々国会議員にとっても理解に苦しむ展開だった。多くの国民にとっては、何が起こったかよくわからないまま、徒労感と政治不信が増した顛末だったはずだ。結果として、「がんばろう、日本!」の呼号の代わりに「なにやってんだ、永田町!」という叱責が聞こえてくるようで、政治家のひとりとして、申し訳ない気持ちである。

一方、この茶番劇が直近の世論調査で民主党と菅内閣の支持率を上げたという結果に、正直なところ衝撃を受けた。自民党の支持率が下がったのは甚だ不本意だが、内閣不信任案提出に至る自民党の行動や論理が国民に伝わっていないことが原因だと思う。また、「被災地支援が善、政局は悪」という構図は、そのトリガーを引いた自民党に厳しい眼が向けられる結果を招いた。野党第一党としての自民党のスタンスは、終始一貫、極めて整然としていると思っていたが、国民に対しての情報発信と説明が不十分であったことを認めざるを得ない。言い訳がましいが、報道機関ですら振り回される異様な事態に紛れ、我々の主張が掻き消されてしまったとしても、自民党の広報を担当する者として、もっとわかりややすい情報発信をすべきであったと反省している。

そこで、我々が菅内閣退陣を求める理由を、もう一度あらためて説明したい。大きくは以下の5つに収斂される。


1、震災前から破綻していた。

財源なきマニフェスト(子供手当や高速道路無料化)、年金、普天間基地、雇用、領土(尖閣・竹島)や外交(TPP)など、菅政権は重要課題を積み残したままなのに、何ひとつ解決できていない。「有言実行内閣」を標榜する菅政権だが、震災前から完全に破綻していた。


2、震災後もなにも進んでいない。

菅政権は、50年がかりで知見を積み重ねてきた国の防災基本計画を無視した。乱立した対策本部は機能せず、大量に雇った内閣官房参与は辞任や問題発言など統制を欠くこと甚だしい。瓦礫の処理はたったの15%、崩壊した190キロに渡る海岸堤防も倒壊した病院の復旧も手つかず、約束した仮設住宅の建設も遅れ、10万人以上の方々が避難所暮らし。震災発生後の初動から現在に至るまで、徹頭徹尾まともな対応がなされていないことは明らかだ。情報隠蔽、責任転嫁など責任感もリーダーシップもない菅政権では原発事故を終息させることはできない。

3、復興の展望もない。

この非常時に国会の6月下旬閉会を唱えたばかりか、復興に必要な「第二次補正予算」を先送りしてまでも政権の延命を図った。それが不信任決議の直接のきっかけであり、誰よりも被災地を軽視したのは菅首相自身である。復興プランも「6月末の復興構想会議の結果を待って」という方針で、関係省庁や被災地自治体も足止め状態。また、日本経済全体が危機的状況にも関わらず、経済政策も手つかずのままだ。これでは、被災地の復旧・復興も日本経済の再生も展望は開けない。


4、誰にも信用されていない。

菅政権は「国民」にも「被災地」にも「国際社会」にも、そして「民主党内」でさえ信用がない。参院選での「抱きつき消費税増税」に始まり、世論に押されれば政権交代の錦の御旗だったマニフェストですらもあっさり撤回を表明。果ては、辞任を表明したように見せておいて居直り、前首相に「ペテン師」と言われるような首相を誰が信任できようか。誰にも信用されていない菅首相では、外交交渉も責任ある政権運営も不可能だ。


5、まず与党としての襟を正せ。

内閣不信任決議案をめぐるドタバタは、あくまで民主党内部の政局でしかなく、自民党が仕掛けたものではない。誰が与党のリーダーなのか、何が与党の方針なのか、何ひとつ方針が定まらない無責任な政党とは、協力も議論もできるはずがない。我々自民党は新たに選ばれる民主党の新代表の方針を見極めてから対応を決めるつもりで、何ひとつ決められない菅政権に対して明確な「NO!」を示したことは当然の判断だ。


大震災からの復旧・震災は、日本にとって最重要な緊急課題であることはいうまでもない。しかしながら、震災による被害以外にも、我が国は解決に長期間を要する深刻な問題を抱えたままである。日本全体の舵取りをするのが政治や議会の役割であり、復興のための資金を調達するためにも、日本経済を元気にするための政策はもとより、若い世代が希望の持てる社会を構築するためのビジョンも必要だ。現在、私は自民党のIT戦略特別委員長として「震災後の新しいIT新戦略」を取りまとめているが、未来からのシグナルをしっかり受け止めて、発想を転換した大胆な政策を提示したい。「日本全体の現在と未来をしっかり構築する!」、そのために我々自民党はチームワークを最大限に発揮して、国民の期待に応えたい。まさに現在、「守るべきものを守り、変えるべきものを変える」、未来を切り開く保守政党としての覚悟が問われている。

内閣不信任決議案否決


内閣不信任決議案が否決された。つまらない政治の茶番劇を見せられたと感じた国民も多かったのではないか。土壇場になって、「一定の目途が立てば辞職」という極めて無責任な発言によって、延命に成功した菅首相だが、この状況ではリーダーシップを発揮できるはずがない。このレトリックは以前にも使われていたが、期限を切って仕事をできない人の常套句であり、辞めるに辞められないとか言って、暫く居座るつもりなのだろうか。震災後の対応をみても、菅首相にこの国の舵取りは任せられないのは明白であり、我々が菅首相を信任できないことだけは変わらない。

 


そもそも菅内閣は、震災対応に目途を立てられないから不信任であって、目途が立てば辞めるということはありえない。民主党も菅首相を信任するのなら最後まで運命をともにすべきではないか。民主党の中から退陣を要求しておきながらこの顛末は茶番劇以外の何ものでもない。何れにせよ、菅首相には求心力がなく、国難を乗り切るリーダーシップは期待できない。復旧・復興を急ぐためには、菅首相に即刻辞任してもらい、政治空白を解消し、国内外の対策がしっかりできる強力な内閣を作るべきではなかったか。

 


驚いたことに、菅首相と鳩山前首相が交わしたといわれる覚書の確認事項は以下の3点のようだ。

1、民主党を壊さないこと

2、自民党政権に逆戻りさせないこと

3、大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと

震災復興が文字通り「2の次」に書かれていること自体が、菅内閣のみならず民主党政権が不信任に値する証拠だ。「党の前に国家国民がある」というのは国会議員にとって当たり前のことだ。

 


発足より2年、内閣不信任案が可決されようと否決されようと、もはや民主党政権は断末魔と言っても良い状況に陥っている。国民からも被災地からも国際社会からも完全に信頼を失っている菅政権がこれからも続けば、菅首相の好きな「最小不幸社会」ではなく「最大不幸社会」を招きかねない。自民党のスタンスははっきりしている。「ダメなものはダメ」だが政策的に合意できるものには協力するという是々非々を徹底すること。最優先は復興法案の成立等、復旧・復興に全力を挙げること。それと同時に、これからも民主党の政策の矛盾を糾していくつもりだ。